• THE EDITORIAL
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新しい出会いを求めてボタンを押す。
そのワクワクを、DBSはデザインする。

さまざまなテーマに基づいて販売アイテムが編集される自動販売機『THE EDITORIAL』は、
新しいスタイルの自動販売機として、2014年10月tokyo designers week2015にて
エロティシズムをテーマに発表。今後もさまざまなテーマで企画中。

ほかでは教えてくれない、
「知りたいこと」を満たしてくれる本

エロティシズムは絵画や印刷物などを通じて、世間に広まっていった側面がある。今回の自販機は、70年代を中心に日本の各地で見られたビニ本自販機のスタイルを踏襲した、エロティシズムの流通手段だ。表紙だけしか見えないその販売方法は、欲情をそそる表紙を飾った扇動的な写真と言葉に刺激されて、中身を見ることなくさまざまなイメージ=妄想を膨らませ本を購入する。エロを獲得することのある種のプリミティブでピュアな衝動が、エロ本自販機にはあったのではないだろうか。今回の自販機の本をセレクトした渋谷にあるブックショップ「UTRECHT」代表の江口宏志氏に、今回セレクトした古本と、エロティシズムをめぐる出版物の現在について話をうかがった。

  • 江口宏志
  • 江口宏志

    1972年生まれ。セレクトブックショップUTRECHT代表。THE TOKYO ART BOOK FAIR共同ディレクター。Amazonにないアイテムだけの仮想ブックショップ nomazonや、読書の新しい楽しみ方を提案するイベント 読書のフェスなど、新しい形の本との関わり方を次々に生み出している。著書に『ハンドブック』(学研)、『ない世界』(木楽舎)など。http://utrecht.jp/

 今回選んだ本はどのようなものですか?
まずは、60年代~70年代にかけてのフランスやアメリカの成人誌を集めてみました。具体的にはフランスの『Lui』※1や、アメリカの『Oui』※2、『PLAYBOY』※3 なのですが、改めて見て思ったのは、それほどいやらしくないということです(笑)。もちろん女性のヌード写真は掲載されているのですが、カルチャーや音楽、文学などの記事も多いですし、誌面構成がおしゃれですよね。写真家などもきちんと調べれば、有名写真家なども撮っていたと思いますよ。
 これらは日本の男性誌にも影響を与えるような、世界を代表する男性誌ですよね。
そうですね。そう思って今回、親父向けの雑誌ではなく、青年向けの男性誌ともいうべき、60年代の『平凡パンチ』※4のような日本のエロ雑誌のレジェンドともいえる雑誌もセレクトしています。『平凡パンチ』は、イラストレーターの大橋歩さんが表紙イラストを書いていることでも知られています。ページをめくると「水前寺清子、カルーセル麻紀の肉体の秘密」という見出しが踊っていますが、知りたいようなそうでもないような(笑)。石川次郎さんが編集長の時代には小林泰彦さんもイラストルポを寄せています。スウェーデンへの「天使とエロ本をめぐる旅」なんて、イラストを使った良い感じのルポなんかも載っています。
 ページをめくると時代を感じますよね。
古い雑誌は紙の独特な匂いや雰囲気がありますね。これらの雑誌には、エロもそうだけど、知らないことを早く知りたい、若者のさまざまな知識欲を満たす、そんな総合情報誌的な意味合いがあったのではないでしょうか。ほかには今回、80年代にロンドンで発行されたファッショナブルな要素のあるボンデージ関連の雑誌などもセレクトしていますよ。
 そこらへんは、80年代に流行した、デッド・オア・アライブ(※5)のような音楽ともリンクしていそうですね。
それにしても、今見ると誌面がダサい…。でも変におしゃれを狙っていないマニアックな感じがいいですよね。この雑誌を見ても分かるのですが、エロ雑誌も80年代に入ると、エロの細分化ともいうべき状況が進んでいったのではないかと思います。そして90年代はそれがさらに進んで、セクシャリティを扱うインディペンデントな出版物が世界中でたくさん登場してきます。ゲイやレズビアンの雑誌がおおっぴらに登場してきたのもこの頃です。ある種のゲイやレズビアンの雑誌には、アートディレクターなどいいクリエイターが集まっていますよね。
 そうですよね。それと90年代後半になると、精鋭的な感覚をもったグラフィックデザイナーが編集者やパブリッシャーとなって、誌面づくりや出版に直接関わるようになります。それは江口さんも早くからご紹介しているZINE※ 6 など、自発的メディアが台頭する時代とも重なります。現代オランダを代表するグラフィックデザイナーであるヨップ・ファン・ベネコムは学生時代に雑誌「RE-MAGAZINE」を立ち上げ、『BUTT』や『FANTASTIC MAN』など、ゲイやレズビアンなどのセクシャリティを扱うインディペンデントな雑誌を発行しています。
インディペンデントな雑誌になるほど、ワンコンセプトで一冊まるまるつくったり、アート的な要素を際立たせたり、誌面づくりもこだわったものになります。それとエロの扱い方や表現も、ゲイ雑誌ひとつとっても色々な方向性があって、マッチョな感じもあればナイーブな感性を持った本もあります。扱う書店もこれらの出版物をつくる前提として、一般的な街の書店というよりも、アーティスティックな印刷物を扱うインディペンデント系の書店などに限定されます。その分、より自由な表現ができているのかと思います。毎年インディペンデントな出版社が中心になって開催されるニューヨークのアートブックフェアに行くのですが、一部屋まるごとゲイ&レズビアン・セクションというのがあって、自分たちで雑誌や本などをつくっている人たちが出展しています。すごい数のお客さんが来ていて、ものすごく盛り上がっています。それらはつくっている物のクオリティが高いというか、かっこよくて、誌面を構成しているエディトリアルデザインや写真に、アーティスティックな表現とセクシャリティというものが結びついています。
 面白いですね。では、ビジュアルにおけるエロの特徴的な表現とはどのようなものだと思われますか?
文章とは違って、視覚から直接感情に訴えてくることだと思います。そういった意味でもエロティックな出版物には、専門性が高いだけにデザインや写真表現が精鋭化されていって、刺激的な要素が詰まっているんじゃないでしょうか。それは先ほど、どのように専門性をもって深く探求するというように、エロの表現が細分化していったということとも繋がると思うのですが、そういった意味では現代は、昔あったような、エロがありカルチャーがあり政治があるというような「総合エロ本」の時代ではないのかなとも思いますね。ですが僕が面白いと思うのは、先ほどの『BUTT』のように、専門性はあるけれど、かといってそれ以外の人たちが読んだり見たりしても惹かれる要素を持ったものです。それがセックスを扱う出版物の面白さなのかなとも思いますね。僕個人としては、エロに限らず、それ以外のジャンルの人が見ても面白いと思う要素のある出版物が好きだし、紹介していきたいと思っています。
  • ※1 1963年から1994年の間に発行されていたフランスの男性向け月刊誌。
  • ※2 Luiのアメリカ版としてPLAYBOY社が1972年から1982年の間に発行し、人気を博した。
  • ※3 1953年に創刊された世界を代表する男性誌。
  • ※4 1964年に平凡社から創刊された男性向け週刊誌。一時は発行部数100万部を越えていた。
  • ※5 ピート・バーンズ率いるダンスミュージック・グループ。ユーロビートの先駆けといわれ、ボンデージ・ファッションに身を包むスタイルで一世を風靡した。
  • ※6 親しい友人との情報交換のためのメディアとして80年代に生まれた、身近なコピー機などを使いホチキス留めなどで綴じられた、大手の出版ルートにはのらない簡易的な印刷物。

美術史のなかのエロティシズム

宗教画に描かれた想像のなかの美やエロティシズム。芸術とエロの境界線に挑むアーティストたち。美術史のなかで、人間の根源的な欲求のひとつであるエロティシズムは、どのように受容され美術として表現されてきたのか。美術専門誌『美術手帖』の編集長である岩渕貞哉氏に、美術という切り口からエロティシズムについて語っていただいた。

  • 岩渕貞哉
  • 岩渕貞哉

    『美術手帖』編集長。美術出版社取締役/編集部長。1975年横浜市生まれ。1999年慶応義塾大学経済学部卒業。2002年より『美術手帖』編集部、2008年に編集長就任。

 エロティシズムは美術ではどのように扱われてきたのでしょうか。
大前提として、ポルノと芸術性の問題を考えてみたいと思います。ポルノと芸術の境界は、ポルノはそれを見た人の欲情を喚起するもので、アートは個人の欲情ではなく、普遍的な美を追求するものだという説明がなされます。ですので、美という芸術性を有したアート作品は、いかなる表現の自由も担保されるべきであると考えられます。ですが、現在のコンテンポラリー・アートが扱う領域を考えると、この問題を単純には二つに分けられなくなっています。ここがコンテンポラリー・アートを複雑なものにしている要因でもあります。最近では、美術館に展示された鷹野隆大さんの写真作品が、猥褻物の陳列にあたるとして、当局から撤去の支持が入り、その後、作品を半透明の布で覆うという処置がされた騒動がありました(※1)。彼の作品は、一方ではゲイ・ポルノの文法で欲情を喚起させる表現をまといながら、一方で見た人に自らのセクシャリティについての内省を促すような批評的視座が含まれています。この再帰的な構造がこの写真をアートとして担保しているものだと言えます。そのうえで、歴史を振り返って、美術でエロティシズムがどのように扱われてきたかを簡単にみてみたいと思います。古代ギリシャ時代は神話のなかに登場する神々をヌードで表現しました。その裸体はイデア(真実性)を造形として表現すべく、その後の西洋美術の規範となる理想の身体像をつくりあげ、ローマ時代に引き継がれていきます。時代を下り、中世ヨーロッパの時代になると、キリスト教が絶大な力を持っていきます。キリスト教は裸体や性的欲望を罪深いものとする面があったので、古代ギリシャ・ローマ時代のような、性や身体の造形美を讃歌するようなヌード表現は抑圧されます。それでも人々は、人間の普遍的な欲求としての性を表現し享受するものです。たとえば、聖母マリアの恍惚の表情や、キリストが十字架に磷付けにされているイメージにみられように、キリスト教の題材をある種の口実として、そこにエロティシズムを忍び込ませています。宗教画ということを免罪符とすることで、それを堂々と鑑賞することができました。その後、ルネッサンスの時代を迎え、古代ギリシャ・ローマの文化が再生してきます。そこではミケランジェロの『最後の審判』の大壁画や、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』など、美術史に燦然と輝く傑作が誕生します。さらにバロック、ロココと時代を経て、ヌード表現は多様化と発展をみます。次の大きな画期は、印象派などが生まれた19世紀になって起こります。それを象徴するのが、1863年に描かれたエドゥワール・マネの描いた『オランピア』(※2)です。これまでのエロティシズムを想起させるヌード表現は、神話上の神々や聖書の物語などによる、空想上の身体による美の追求というもので、市民たちの極私的な性的な欲望とは無縁のものでした。それに対してマネは、近代化の達成により神の存在が揺らぎ、民衆の力が台頭してきた時代のなかで、同時代の娼婦や召使いといった存在を、美の規範とされていたヌード表現の構成を用いて描きました。これによって、オランピアは当時これをみた人々に美の冒涜という嫌悪感を抱かせ、スキャンダルを巻き起こします。それは、これまでの美術表現において信奉されてきた価値が揺らがしたことを意味しています。マネの事件以降、近代から現代にかけてずっと、アートとポルノを論じることは芸術を論じることと同様、先日したある種のメタゲームの様相を呈していきます。
 近代におけるマネのお話がありましたが、美術史におけるエロティシズムに関してほかにはどのようなトピックスがあったのでしょうか。
先ほど十字架に磷付けにされたキリストの身体や表情に人々はエロティシズムをみていたのではと言いましたが、恍惚的な表情と苦しんでいる表情は区別がつきにくいことがあります。エロスとタナトスという概念があるように、性には生と死を同時にみる欲望がありますね。
 西洋と東洋のエロティシズムの表現に違いがあるとしたら、それはどのようなものでしょうか。
日本では、江戸時代には職人さんなどが上半身裸で刺青のはいった体を人前に晒して街を闊歩するのは当たり前の光景でしたし、それこそ元祖エロ本ともいうべき春画が普通に売られていたり、性の表現はむしろいまより大らかだったと思います。それが明治時代になると、西洋の芸術概念が輸入されたことでむしろ規制がはいるようになります。1901年には黒田清輝が描いた裸婦像に対して、当局が検閲をおこない画面の下半分に腰布をかぶせられたという事件がありました(※3)。それ以降、日本では現在にいたるまで、芸術における猥褻性という問題について、市民の側でも取り締まる側でもあまり議論や理解が深まることもなく、単に性器が写っているか否かという点が猥褻であるかないかの判断基準になってしまっています。インタビューの冒頭にポルノと芸術の違いは、観た人の欲情を直接的に喚起させるかどうかという基準と比べると、残念ながら芸術にたいする民度が低いと言わざるを得ません。その点で、鷹野さんの作品に関しては、アートのコンテクストに沿って作品を発表してきた芸術家によるものですが、ある面では性的な欲情を喚起させられる部分を持つ作品です。その際、我々は、何をもってこれをポルノではなく芸術作品であると主張することができるのか。今回はそこがポイントになるのだと思います。そこで、鷹野さんの作品は、ポルノグラフィーを擬態しつつ、現代の社会が内包する多様な性のグラデーションを可視化する、自分の性的欲望を含む現代のセクシャリティが置かれた状況をあらためて観る人に考えさせる作品である、というようなやや迂回した説明が必要になります。それをたんに芸術かポルノかという二元論的な議論をしてしまうと、作品の持つ複雑な価値観からどんどんズレてしまいます。
 いままでは美術館でヌードを見ても誰もそれを猥褻と思わなかったかもしれませんが、現代では価値観の多様化が加速してしまったことで、美術館に展示されているにもかかわらず、それをポルノと思う人が現れてしまったということでしょうか。
マネの『オランピア』を美術館でみて、現代ではこれを猥褻と訴える人はいないと思うんですよね。確かにこの作品をみて密かに欲情する人もいるかもしれません。ですが、それは個人的なプライベートなもので、公共的な価値と共存することができるものです。なので、自分が猥褻と感じるから撤去せよという話にはならないはずですよね。それと直接、なんでも行政に訴えるのではなく、市民が自分たちで議論のなかで、自分たちの社会はなにが美術館で展示されるべきかそうでないかの線引きを図っていくことが重要なんだと思います。
 これまでも多くの芸術家たちはエロティシズムを題材に作品を手がけてきました。芸術家にとってエロティシズムというモチーフは魅力的なのでしょうか?
ヌードを通して美にかたちを与えるという命題は、美術史の起源に埋め込まれているんだと思います。エロティシズムは、自画像や死とともに、それを避けては作家としての覚悟が問われるような重大なモチーフでしょうね。
  • ※1 愛知県美術館で開催されていた「これからの写真」展に出展されていた写真家 鷹野隆大氏の作品に対し来場者より猥褻であると通報があり、愛知県警がその作品の撤去を求めた。結局、作品の局部を半透明の布で覆う処置がとられた。
  • ※2 それまでの裸体は神話のなかの神々や、イデアを表象する理想的な身体として描かれたが、マネは現実の裸体の女性を描いたことで卑猥であると非難された。パリ・オルセー美術館所蔵。
  • ※3 黒田清輝(洋画家 1866-1924)が描いた鏡に写る裸婦像『朝妝(ちょうしょう)』が猥褻であるとして、「裸体画論争」になった。