N1分析とは、実在する1人の顧客を徹底的に理解する分析。その顧客のインサイトを洞察して新たな価値を創造します。
なぜその手法が生まれたのか?
架空のペルソナや集団のデータを見ても、それぞれの顧客行動の裏にあるインサイトはなかなか知ることができません。どうしてもマス思考になり、最大公約数的な施策で鋭さを失ってしまうものです。
しかし、インタビューなどを通して具体的な1人の顧客の趣味や嗜好、生活態度、価値観などを掘り下げると、本人も意識していない「購入理由」や「リピートしたきっかけ」などに迫ることができるのです。
N1分析の第一人者、西口一希氏は著書に「徹底的にN1に絞り込むから強い独自性と便益=プロダクトアイデアを生み出せるのであって、絞り込まないから平均的で最大公約数的な提案や企画しか打てずに、鳴かず飛ばずの結果になるのです。1人に注目するからこそ、他の人にも響く可能性の高い、強いアイデアの手がかりが得られます」と記しています。
N1分析という言葉が生まれるずっと前から、その手法を取り入れたといえる成功例を見てみましょう。
POLA 化学者でもあった創業者の鈴木忍氏は、ある日、妻の手荒れを見て独学でハンドクリームを作りプレゼント。そこからPOLAの歴史は始まりました。
Yogibo 創業者エイアル・レヴィ氏は「妊娠中の大きなお腹でも楽にうつ伏せで寝たい」という妻の望みを知り、ビーズソファを製作しました。
Columbia 創業者の次女ガート・ボイル氏は「ポケットが山ほど付いた釣り用ベストがほしい」という夫のリクエストを聞いて自らミシンを踏み、現在も人気のベストが誕生しました。
こうした例からは、たった1人のために起こした個人的な行動が、結果的に同じような悩みや課題を抱える多くの人のためになったことがわかります。
そして、その「個人的」という特徴は、ある言葉を思い出させます。
2020年のアカデミー賞作品賞を受賞した「パラサイト 半地下の家族」。ポン・ジュノ監督は受賞スピーチで「最も個人的なことが最も創造的、というスコセッシの言葉を胸に映画を学んできた」と語りました。
「最も個人的なことが最も創造的なことである(The most personal is the most creative.)」
ここでいう個人的とは、大衆に迎合せず、監督自身の想いやこだわりを重視する姿勢だと捉えられます。スコセッシ監督のフィルモグラフィーをたどると、個人的といえる作品ばかりではありませんが、おそらく作中に監督自身の想いやこだわりといった個人的要素が含まれているのでしょう。
だとすると「たった1人のため」の1人とは、身近な誰かに限らず、自分自身でも良いのかもしれません。
N=1(イチ)をN=I(アイ)にするということです。
事実、自分の悩みや課題解決を目的に生まれたブランドはいくつも存在します。
Kate Spade ファッション誌の編集者だったケイト・スペード氏は、自分がほしいデザインのバッグが見つからず、もどかしさを感じていました。そんなとき夫から「バッグの会社を始めたら?」と言われブランドを立ち上げました。
Dropbox 創業者ドリュー・ヒューストン氏は、USBドライブを持ち歩いたり、壊れてデータを紛失しそうになったり、データファイルを自分宛てにメール送信したりするのが嫌になり、友人とプロジェクトをスタート。
Uber 創業者トラビス・カラニック氏がサンフランシスコでタクシーを捕まえられなかったとき、友人で共同創業者のガレット・キャンプが「アプリで自分用にハイヤーを配車できればいい」とアドバイス。それをきっかけに起業しました。
このように自分本位で創業したからといって、必ずしも上手くいくとは限りません。しかし、ターゲットはほかの誰でもなく自分自身。ニーズも顧客満足も自分ごとです。そのため、架空のペルソナを想像したり、膨大なビッグデータから抽出したりするよりもリアリティや熱量が生まれ、身近な人の場合と同じように多くの共感を得るかもしれません。(もちろん検証は必要ですが!)
自分のために、自分本位で、というスタンスは今後ますます重要になるかもしれない。そう思わせる記事がありました。
日本経済新聞 2024.09.17
注目すべきは、メタのLlama 3.1 405B Instruct FP8、サイバーエージェントのCyberAgentLM3、イライザのLlama-3-ELYZA-JP-8B。
それらのAIに共通するのは「主観的な評価」が苦手だということ。
そもそも主観自体がないAIだから当然といえます。それなら、主観的評価は、N1の1を自分として考えられる人間が行い、心の声に従って事業を動かす。ほかの単純作業はAIが担当する。そんなバランスが今後のスタンダードになりそうです。
それが、今後進化が予測されるAIエージェントだとしても同様です。自律型のAIエージェントは生成AIと異なり、人間が指示を出さなくても自ら目的を理解し、必要なタスクを考えて実行できます。
2023年にビル・ゲイツは「今後5年間で、一人ひとりが自分専用のAIエージェントを持つことになる。休暇の旅行先の決定から交友関係の管理まで、あらゆることを助けてくれる」と語りました。ある調査によると、世界におけるAIエージェントの市場規模は2024年から2030年までに9倍以上になるそうです。
しかし、最初にどんなデータをAIエージェントに収集させるか、どんな条件と行動のルールを定義するかは、人間の意思が介入します。つまり、テコの原理でいえば、テコという道具にはAIを使いますが、最初の力点では人間がしっかりと力を込めるという役割分担です。
再び映画に話に戻すと、海外のあるAI関係者は「2〜3年以内に動画生成AIで2時間の映画を作れるようになるだろう」と話します。俳優の演技もAIが、音楽もAIが、脚本も、そして企画自体もきっとAIが生み出すでしょう。しかし、「AIは主観的な評価が苦手」が今後も真実だとしたら、個人的なことを映画に盛り込んで共感を集めるのは人間の役割といえます。
This is New Perspective
身近な誰かや自分のために、と考えると、AIには生成できないリアリティや熱量が生まれることがある。
Dynamite Brothers Syndicateでは、個人的なエピソードを集めて編んでビジネスに生かす「編集思考」の体験型ワークショップを実施しています。気になる方はお気軽にお問い合わせください。→ https://d-b-s.co.jp/contact/
参考:「ビジネスの結果が変わるN1分析 実在する一人の顧客の徹底理解から新しい価値を創造する」、「たった一人の分析から事業は成長する実践顧客起点マーケティング」(西口一希)、NHKスペシャル創られた真実 ディープフェイクの時代、docomo business Watch 2025.02.13 注目が集まる「AIエージェント」とは?
石塚 勢二
COPYWRITER
広告制作会社で多くの企業の広告、プロモーションに携わった後、入社。コピーライティングに限らず大局的な視点に立ち、ブランドのコンセプト開発からコミュニケーション戦略の立案、動画・音声コンテンツの企画・シナリオ設計まで行う。