vol.1.2と2回にわたり、革ジャンについて色々と語ってきましたが、少し書き足りなかったのでvol.3を締めくくりとして書きたいと思います。
vol.1.2で革ジャンについてあれこれ語ってきましたが、結局のところフィーリング、つまりは第六感が”好き”って言ってるから好きなのではないかなと思っています。
この記事を書いた少し前(大体7月に入る前くらい)に随分前から悩んでいた革ジャンを買いました。
その革ジャンは個体差もかなり違っており、最初に見たものは全体的な色ムラやフィッティングがかなり良かったのですがずっと店頭に出ていたので少し懸念していました(僕だけなのかもしれませんが意外とそういうのを気にしてしまいます)。
もう何点かストックがあったので持ってきてもらい、確認しましたが、その場で悩みに悩み、一回お店を出てから考えて、結局1番最初に見た個体を買いました。
結果的に後から考えると、色んな個体を見ましたがなんだかんだで最初のものがどうしても目について離れなかったんですよね。
「最初に見たから見慣れているのかも」という気持ちもありましたが、もっと染め具合が綺麗だったり、まだ昨日到着したばかりのものもありましたが、どうしても最初の個体から何か光るものを感じたんですよね。
よく”五感を感じる”みたいなことを聞くと思いますが、選んだ際の感覚は”第六感で選んだ”に近い気がしています。
逆にこの第六感で選んでないものはどうにもハマった記憶がなく、以前ネットオークションで売られていた50年代の革ジャンが安く出ていたのでついつい買ってしまったのですが、フィッティングはおろか箱から出した瞬間、「うーん、なんか違うな」と思い、その後1時間くらい眺めながらどこか光るものを色々と考えてましたが、結局のところあまり良いところは見つからずクローゼットにお蔵入りになっています。
つまりは、僕の”第六感"が、違うなと思ってしまったからなんですよね。
vol.1.2で散々魅力について語ってきましたが、最後はなんとなく、「結局のところ、感覚なんだよね」という偏愛の曖昧さと、そういう感覚的なものを大事にすることはなんだか生活を豊かにしてくれるのではと、思います。
ここ数年、革ジャンにハマって趣味にしてからと言うもの色々な革ジャン好きの方や店員さんと交流する機会がありました。
その中で感じたのが、「結局は好きって気持ちが勝つんだな」と言うことです。
詳しい方や自分より量も質も値段も良い革ジャンをお持ちの方と話した時、「自分なんて全然知識もないし、大した革ジャンも持ってないので…」と言ったら、「量とか質とか良い悪いは関係ないよ。今着てるのめちゃくちゃ着込んでて似合ってるじゃないですか」と返されました。
その瞬間、確かにと納得しつつ自分の発言が恥ずかしくなりました。
結局のところ、革ジャンって最大の魅力はその革ジャンの値段がどうとか知識がどうとかそういうのではなく、「その人がどういう風に着て、味を出して着るか」ということなのかなと思います。
実際に着ている人と話していくと「ここの肘の部分は〇〇してた時に擦った」とか「やっぱ襟の縁も雰囲気出したいから暇さえあれば電車内で握って癖つけてる」など聞くと、人によってこんなにも違ってくるものなんだなと感じましたし、革ジャン好きの方はほとんどこういう体験をしてると思います。
一枚をとにかくエイジングさせる人もいれば、同時並行で着る人、あえてハードに着る人、カスタムする人、〇〇の映画を見て自分も欲しくなってずっと着ている、など色んな人がいて、その分、色んなハマり方があるんだなとなおさらに感じさせられます。た
だ量を持ってコレクションをする、希少な年代のモデルを持つ、そういうハマり方も楽しいですが、着ていくことでその人だけの個性が出てくるのが、僕にとっての革ジャンの1番の”ハマり方”なのかなと思います。
vol.1から革ジャンについて色々と語ってきましたが、結局のところ僕自身は革ジャンが好きな人が世界中でもっと増えてくれたらと思っています。(半分冗談で半分本気です)
わざわざ着づらく、手入れもしなければいけない、さらに値段もちょっと高い革ジャンは正直踏み込むのに少し大変かなと思います。
しかし一つのアイテムを長く使い続け、愛着を持つこと、服の文脈を辿ることは素敵なことだと思っています。
最終的に世界中で革ジャンをブームにしたいとか、大流行させたいとかそういう具体的な願望は全くないですが、「革ジャンっていいな」と思う人が1人でも増えてくれたり、
このブログを読んで、自分の好きなものと向き合うきっかけになればと思い、このブログを書かせていただきました。
以上が「僕と革ジャン」のブログになります。
vol.1、2をまだ読んでいないという方は是非そちらも読んでいただけると幸いです。