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3本ラインのアディダスジャージ。おしゃれに着るか、パジャマになるか!?

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2025.5.1

アイコニックなスリーストライプ

先日、同世代(40代)のアートディレクターと「3本ラインのアディダスジャージをファッションアイテムとして着こなせるか」との話になった。

3本ラインのアディダスジャージは、我々世代にとっては、ストリートカルチャーとの結びつきが強い。Run-DMCやBeastie Boys(ビースティボーイズ)、Bob Marley(ボブマーリー)、Jamiroquai(ジャミロクワイ)など、ブラックミュージックやレゲー、アシッドジャズに至るまで、音楽ジャンルにとらわれないパイオニアたちに愛されていた印象が強く、非常にアイコニックなアイテムです。反面、我々世代にとっては中学生時代の体育着でお馴染みの「芋ジャー」と紙一重のアイテムでもある。「芋ジャー」とは芋くさい(ダサい)という意味で学校指定体育着の呼称である。一般的にジャージ素材で、サイドに1本もしくは2本ラインが入っていた。そういった背景もあり、アディダスジャージをオシャレに履きこなすことを、必要以上に難しく捉えている世代なのかもしれない。

(左)アディダスジャージ (右)芋ジャー

ジャージではなく、トラックパンツ

当社でもジャージを取り入れた着こなしをしている若い世代はいる。そもそもジャージではなくトラックパンツと呼ばれるこのアイテムの着こなしは、2018年頃から流行し定着したアスレジャー(Athleisure)というトレンドによるものが大きい。アスレジャーとはアスレチック(運動競技)とレジャー(余興)を組み合わせた造語のことである。それ以来、さまざまなスポーツブランドが日常にスポーツウェアを取り入れるスポーツミックススタイルに力を入れ始め、スポーツウェアはかなり着こなしやすく洗練されたように思う。2025年5月号のGINZA(マガジンハウス)の特集が「この春、スポーツ×ファッションが最強だ!」ということからも、すっかりそのトレンドは定着しているように思う。

話をアディダスの3本ラインのジャージに戻す。そんな追い風が吹いているにも関わらず、筆者の中でアディダスの3本ラインジャージは、その他のジャージ(トラックパンツ)と一線を画す。こんなエピソードもあった。ある日会社で30代半ばくらいの男性デザイナーがアディダスではないが、サイドにラインの入ったトラックパンツを履いていた。「お、〇〇くんトラックパンツ履いているね!?」と声を掛けたところ、少しモジモジしながら「やばいっすか!?、休日っぽいですか!?」と完璧なリアクションをしてくれた。決して世代論ではないが、どうやら30代半ばくらいであれば、我々世代と同じ懸念を持ちながら、トラックパンツに挑戦していることがわかった。

年齢とともに生まれる、ファッションへの葛藤

ここで、3本ラインのアディダスジャージのように、若い時は抵抗はなかったにも関わらず、歳を重ねると気持ち的なチャレンジが必要になるアイテム事例を上げてみたい。(あくまでも筆者の主観であることを予めご了承ください。)例えば、イヤーパッドの大きいヘッドホン。かつてはインナーイヤホンの精度が今ほど高くはなく、良い音質で音楽を楽しむにはイヤーパッドの大きなヘッドホンが必要だった。そんな背景を差し置いても、今はそれなりの勇気がいる。他に例を上げるとすれば、平日のサングラスも筆者にとっては、同じ類に入る。休日や車の運転時は特に抵抗なく装着できるが、平日の出勤時にサングラスを装着するスタイルを筆者は持ち合わせていない。突然、筆者がアディダスジャージを履き、イヤーパッドの大きなヘッドホンとサングラスを装着して出勤したらと思うと、少しゾッとする。

「年齢とともに生まれる葛藤」の解像度を上げる

さらに、少し解像度を上げてみる。解像度を上げるとは抽象的な物事を具体化していくことと考えがちだが、その逆も然りである。具体的な幾つかの物事の共通点を探り、抽象化していくことも解像度を上げる思考のプロセスである。では、3本ラインのアディダスジャージ、イヤーパッドの大きなヘッドホン、平日のサングラス、これらの共通点はなんなのか。

・ストリート感

・自己表現やアイデンティティの一部となる

・日常生活において特定の機能的役割を果たす

このように解像度を上げてみると、筆者の心理的ハードルを上げている要因として真っ先に上がるのは、1つ目のストリート感である。かつてはストリートが好きだった筆者に、いま圧倒的にストリート感は欠如しています。また、2つ目の自己表現やアイデンティティという文脈においても、年齢や立場を考えた時に、そんなとこでアイデンティティを主張するのではなく、もっと違ったカタチで自己表現した方がいいという気分になる。反面、3つ目の特定の機能的役割という文脈では、移動中に音楽を聴きたい、日差しを軽減したい、ジャージ素材が楽で過ごしやすいという目的が明確にあるため当然心理的ハードルはない。

つまり、日常生活において特定の機能的役割を果たすアイテムとしては必要としているが、わざわざそこに必要以上の自己主張やアイデンティティを加えたいとは思わなくなってきていると言える。アディダスジャージへの葛藤は、年齢や体系の変化、着こなしのセンスだけではなく、生き方や価値観の変化に伴う違和感が原因なのだろう。

結論:筆者にとってアディダスジャージはパジャマです

私たちは洋服とは別に”生き方臭”を纏っています。それは、作り出せるものではなく、滲み出てしまうものだから嘘をつけない。そのことに自分自身が気づいているために、その臭いとギャップがあることに挑戦しようとすると、勇気がいるし、違和感がある。逆にギャップがないと安心できる。スポーツをやっていても、ユニフォームの着こなしひとつで上手いかどうかがわかるといいます。よく“年相応”という言葉を耳にするが、正確には“生き方相応”という方が正しいのかもしれない。筆者が3本ラインのアディダスジャージを着ることは、もうないのかもしれません。もし身につける機会があるとすれば、それはストリート感を持ち合わせていた昔を懐かしみながら着るパジャマでしかない。

 

植村 徹

PRODUCER / PLANNER

クリエイティブエージェンシーでCI/VI、ブランディング、TVCM、Web施策などを経験。デザインシンキングや編集思考を用いたワークショップやファシリテーションを得意とし、百貨店の売り場開発、ライフスタイル商材のブランドコンセプト開発などを行っている。

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