近年、ブランディングの現場で「ストーリー」に代わる存在として「ナラティブ」という言葉を耳にする機会が増えました。両者の違いは概念的で、理解するのはなかなか容易ではありません。けれど、それらを「アイドル」と「ファン」に置き換えると、違いを捉えやすくなることがわかりました。
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ナラティブは、1960年代、主にフランスの文芸理論用語として使われるようになった言葉。1990年代になると、臨床心理学の領域で、患者を「物語の主人公」として、自分の病気とどう向き合っていくか話し合う支援療法「ナラティブ・アプローチ」 が行われるようになります。
そして2019年、ノーベル賞を受賞した著名な経済学者ロバート・シラー教授の著書「ナラティブエコノミクス」をきっかけに、ナラティブの概念は経済学の領域でも注目され、今や世界のビジネスに大きな影響を及ぼしています。
さまざまな要因が考えられますが、「社会的な共創」がキーワードに挙げられます。SNSの浸透、SDGsやESGなど社会意識の高まり、コロナ禍の新しい行動様式などにより、企業と社会の関係はここ数年で大きく変化しました。企業と生活者、多様なステークホルダーによる「共創」が重要になり、そのためにナラティブが大きな役割を果たすことが、注目される理由として考えられます。
また、ストーリーは企業から消費者への一方向のコミュニケーションで当事者意識を持ちにくいことが多いものですが、 ナラティブならステークホルダーからの共感を得やすい、という理由もあります。
そんなナラティブですが、多くのビジネスパーソンはこう感じているはずです。「要するにどういう意味?」「ストーリーと何が違うのか?」「具体的にイメージできない!」と。「ナラティブカンパニー 企業を変革する「物語」の力」(本田哲也/東洋経済新報社)は、違いを次のように記しています。
ストーリー
演者:企業やブランド
時間:始まりと終わりが存在する、起承転結型
舞台:その企業が属する業界や競合環境
ナラティブ
演者:あなた(生活者)
時間:常に現在進行形で、これから起こることを含む未来の話
舞台:社会全体
ナラティブとストーリー、両者の最大の違いは、演者の違いです。
ストーリーの場合、企業やブランドが主人公であり、語り手でもあり、企業哲学やブランドストーリーをストーリーテリングします。
一方、ナラティブの主人公は、生活者一人ひとり。誰もが自由にオリジナルの物語を紡いでいきます。だからこそ、ストーリーに比べてステークホルダーからの共感を得やすいのでしょう。
しかし、この「誰もが自由に」という点が、イメージしにくい要因ではないでしょうか。そこで、演者を「アイドル」と「ファン」に置き換えてみましょう。
ストーリーは、アイドルの活動そのものと考えられます。演者(企業やブランド)は、アイドル本人にほかなりません。
アイドルは、スカウトやオーディションでデビューのチャンスをつかむケースが多く、そこには明確な始まりがあります。デビュー後も熾烈なオーディションが続き、グループの場合はセンター争いも日常茶飯事。ステージ、バラエティ、ドラマなど活躍の場を広げ、やがて引退を迎えます。終わりもハッキリしています。個人差があるとはいえ、デビューから引退までの活動は、ストーリーと同じように劇的で起承転結もあります。
「会える」をコンセプトにしたアイドルが多く存在しますが、活動の舞台は基本的には芸能界の中。企業が属する業界、というストーリーの限定的な舞台とも一致します。
2021年の第164回芥川賞を「推し、燃ゆ」(宇佐見りん/河出書房新社)が受賞し、次にくるマンガ大賞2021コミックス部門では「推しの子」(横槍メンゴ、赤坂アカ/集英社)が1位を獲得。「推し活」は2021年の新語・流行語大賞にノミネートしました。ナラティブは、この「推し活」に例えることができます。
ストーリーの演者(企業やブランド)がアイドル本人であるのに対し、ナラティブの演者(生活者)は、アイドルのファン。アイドル1人につき大勢のファンが存在しますが、ファンは決してひとつの大きな塊ではありません。一人ひとりが、自分なりの推し活で応援しています。
鑑賞する、実際に会う、グッズを集める、グッズを作る、ファン同士で交流する、聖地巡礼するなど活動の幅は広いものです。特定のメンバーではなくグループ全体を応援する「箱推し」や、応援するアイドルを変更する「推し変」など、ファンの数だけ推し活があります。
ナラティブは100%企業の思惑通りに進まないケースがあるといわれますが、推し活も同じく、アイドルのコメントや歌詞ひとつの解釈も人それぞれ。なかには、アイドルが引退した後も応援を続けるファンも。ナラティブ同様、現在進行形で未来志向といえます。
そして、舞台が社会全体なのもナラティブと推し活の共通点です。ある調査によると、昨今の推し活は一部のオタク層だけの活動ではなく、非オタク層がコミュニケーションを充実させるため「推し」を活用しているといいます。推す行為は、社会との接点を持つことだといえます。
演者、時間、舞台が異なるナラティブとストーリーですが、唯一共通点があります。 どちらも、創業者や企業の強い思い(パーパス)が起点ということ。
ストーリーでは一般的に、パーパスをベースにブランドストーリーが語られます。ナラティブも、生活者一人ひとりがパーパスに共感するフェーズから、生活者の物語が始まります。
パーパスなくしてストーリーもナラティブも生まれない。思いは、アイドルにも推し活にも欠かせません。多くのアイドルは「自分がセンターになって1位をとりたい」「いつか映画に 出演したい」といった情熱が活動の原動力となっています。
推し活の原動力も同じ。夢や情熱のないアイドルより、夢に向かって頑張っているアイドルのほうが、応援したい気持ちは強くなります。
そうしたファン心理(生活者のインサイト)を理解したうえで、どのような思いで活動を続けるか。ファンがどのような推し活で、どのような物語(ナラティブ)を紡ぐのか。そうして具体的にイメージすることが、今後のブランディングで重要になるはずです。
This is New Perspective
わかりにくいナラティブはファンの推し活と捉える。
ナラティブもストーリーと同じくパーパスが必要。
石塚 勢二
COPYWRITER
広告制作会社で多くの企業の広告、プロモーションに携わった後、入社。コピーライティングに限らず大局的な視点に立ち、ブランドのコンセプト開発からコミュニケーション戦略の立案、動画・音声コンテンツの企画・シナリオ設計まで行う。