席替えの日を、覚えていますか?
「窓側だったらいいな」
「仲のいい子の隣になったら楽しそう」
「苦手な人の隣だったら、ちょっと嫌だな」
「好きな人の隣になったらどうしよう!」
まだ席は決まっていないのに、頭の中ではもう何パターンもの学校生活が始まっています。

たったひとつ席が変わるだけなのに、誰の隣になるか、どんな景色が見えるかで、その先の毎日まで少し違って見える。
そして、くじを引く前に思い描いていた未来と、実際に席が決まった瞬間では、感情の動きも大きく変わります。
たとえば、同じ「窓側の席」になったとしても、「どうせ廊下側だろう」と思っていた人なら嬉しいかもしれない。一方で、「仲のいい子の隣で、しかも窓側」を期待していた人なら、少し物足りなく感じるかもしれません。
心理学や神経科学では、こうした予測と結果のズレを「報酬予測誤差(Reward Prediction Error)」と呼びます。
感情は、結果そのものではなく、期待と結果の「あいだ」で動く。
つまり体験をつくるということは、「何が起きるか」だけでなく、その前に何を期待させ、実際の体験でどう応えるかまで考えることなのだと思います。
私は8月より、プロデューサーとしてDBSに入社した佐藤です。入社前の4年間はアプリゲーム会社で、企画、UI/UX設計、アートディレクション、ブランディングなどに携わってきました。そこで考え続けてきたのが、事業側が描いた価値を、どうすればユーザーに「伝わる体験」にできるのかということです。
ゲームづくりでは、まだ存在しないユーザーの体験を、何度も頭の中で先に動かします。
「こんな場面で使ってくれたら」
「ここで少し驚いてくれたら」
「そのあと、もう一度挑戦したら楽しそう」
まだ存在しないユーザーの体験を、少し先に生きてみる。
企画書には、そんな期待や仮説を、言葉や図にして形にしていく面白さがあります。
そして企画書の中なら、「ブランドへの愛着を高める」「継続率を高める」と、事業上の意図を一行で書くことができます。
けれど、その一行をユーザーの体験へ置き換えようとすると、途端に難しくなる。
ゲームの画面に、「愛着」というボタンが置けたらどれだけ良いことか。
事業会社でサービスをつくる側にいたからこそ、企画書の言葉と、ユーザーが実際に感じる体験との間には、設計図と住み心地くらいの距離があることを何度も感じました。
事業側の企画書や資料では、「愛着」「信頼」「継続」といった大きな言葉で、目指す価値を語ります。
でも、その価値がユーザーに届くときには、もう少し具体的な感情や行動に変わっています。
「自分にもできそう」
「もう一度やってみよう」
「なんとなく好き」
企画書の中の価値を、ユーザー自身が主語になれる体験へ変えていく。
今回は、ゲームづくりを通して考えてきた、「価値はどうすれば体験になるのか」という話を書いてみたいと思います。
雑誌の表紙には、不思議な力があると思います。
「あなたは大丈夫?」
「いま知っておきたい○○」
「なぜ、あの人は○○なのか」
「5回目以上のハワイ」


中身をまだ一文字も読んでいないのに、
「これは知っておいた方がよさそう」
「ちょっと答えを確かめたい」
「自分にも関係がありそう」
と思ってしまいます。
表紙は、まだページを開いていない人を、情報の受け手から「探索する人」へと変えている。
ゲームの入り口も、よく似ています。
以前、こども向けの知育アプリをつくったとき、チュートリアルではいきなり問題を出すのではなく、最初に短いストーリーを見せていました。
そして、キャラクターから、
「一緒に○○してくれない?」
とお願いされて、そこで初めて問題が現れます。
やっていることだけを見れば、最終的には「問題に答える」だけです。
でも、体験の順番が違います。
見る → 頼まれる → 答える。
受動から、能動へ。
ストーリーを見ている間、ユーザーはまだ観客です。
そこへキャラクターから声がかかる。
すると、観客から、参加する人へ。問題を解かされる人から、誰かを助ける人へ。立場が切り替わります。
同じ一問でも、「問題を解いてください」と言われるのと、「手伝ってくれない?」と言われたあとに出されるのとでは、少しだけ意味や感じ方が違う。
ここで思い出すのが、ゲームデザイナー、シド・マイヤーの有名な言葉です。
「ゲームとは、興味深い選択の連続である」
一般的には、ゲームには意味のある選択が必要だという文脈で語られる言葉です。
でも私は、少し違う読み方もできるように思います。
人は、選択を渡された瞬間に、その体験の当事者になりはじめる。
選ぶ。
答える。
助ける。
どんなに小さくても、自分の意思がひとつ入った瞬間、その先で起きることは少しだけ「自分のこと」になります。
自分ごと化というと、「あなたへのおすすめ」のように、情報を自分向けに変えることを想像しがちです。しかし、人が体験の中へ入る瞬間は、それだけではありません。
自分の出番が生まれたとき、人は観客ではいられなくなる。
雑誌の表紙が、通りすがりの人を「知りたい読者」に変えるように。ゲームやサービスの入り口で考えたいのも、何をどこまで説明するかだけではなく、ユーザーの立場をどう変えるかということです。
体験価値の入り口は、どのタイミングで、ユーザーを観客から当事者へ変えるか。
その小さな境界線を設計するところから始まります。
入り口で「観客」から「当事者」になってもらえたら、その次に考えたいのは、体験をどう続けてもらうかです。
正直ここが一番難しいと筆者は思います。
サービスをつくっていると、
「楽しい体験を増やしたい」
「成功体験をつくりたい」
と考えます。
もちろん、それは間違っていません。でもゲームを思い返すと、ずっと成功している時間ばかりが、心に残っているわけでもありません。
「なかなか倒せなかった敵を、ようやく倒せた」
「何度も逃げられたポケモンを、ようやく捕まえた」
「あと少しのところで失敗して、もう一度挑戦してクリアした」
成功の前には、たいてい少しだけ影があります。
緊張だったり、悔しさだったり、もどかしさだったり。
その影があるから、成功の輪郭が濃くなる。
ゲーム研究者のJesper Juulは、著書『The Art of Failure』で、プレイヤーは失敗を嫌うにもかかわらず、失敗することがほぼ避けられないゲームを自ら遊び続ける、という矛盾を「失敗のパラドックス」として論じています。
失敗は、必ずしも楽しさの邪魔をするものではない。そこから抜け出すこと自体が、楽しさの一部になることがあります。
つまり、ネガティブな感情は、すべて取り除けばいいわけではない。
大切なのは、その感情をどこへ連れていくかです。
知育アプリのリブランディングを担当していたとき、このことを考えるきっかけになった、小さな違和感がありました。
当時、子どもが問題を間違えると、画面には「ざんねん」と表示されていました。
でも、問題を間違えたことは、本当にただ「ざんねん」なことなのでしょうか?
子どもは「こうかな?」と考え、自分なりの答えを選んでいます。
正解とは違っていたとしても、
「この考え方ではなかった」
「じゃあ、次はどうしよう」
と、思考はまだ歩き続けているかもしれません。
それなのに、サービス側が先回りして、
「あなたはいま、ざんねんです。」
と感情に名前をつけてしまう。
私が気になったのは、ネガティブな言葉だったこと以上に、まだ動いていた感情に、そこで句点を打ってしまうことでした。
リブランディング後は「ざんねん」という表現を見直し、もう一度試したくなる言葉へ変更。
さらに、同じ問題にもう一度挑戦するか、別の問題へ進むかも、子ども自身が選べるようにしました。

変えたかったのは、失敗をなかったことにすることではありません。
「うまくいかなかった….悔しいけどなんとなくわかったような、 もう一度挑戦すればできるかもしれない」
感情に句点を打つのではなく、次につながる読点を置きたかった。
この改修だけが要因ではありませんが、ユーザーが1日に解く問題数は、倍以上へ増やすことができました。
体験価値を考えるとき、つい「喜び」「楽しさ」「驚き」といったポジティブな感情をどう増やすかに目が向きます。でも、失敗があるから達成が際立ち、緊張があるから安堵が強くなる。
感情は、前後の落差によって、輪郭を持ちます。
体験価値とは、ひとつの感情を最大化することではなく、感情のコントラストをデザインすることではないでしょうか。
やっとLEVEL 3までやってきました。
はじめてのBlogということもあり、少し肩に力の入った文章になってしまいましたが、ここまで読み進めてくださった皆さんと、ひとつのゲームを一緒に進めてきたような気持ちになっています。ありがとうございます。
さて、最後のLEVELでは、タイトルにもある「愛着」について考えてみます。
好きだったゲームを思い返したとき、意外と記憶に残っているのは、クリア画面そのものではなかったりします。
・なぜか最後まで連れていたキャラクター。(私は何故かサンドパンをいつも連れていました)
・自分で見つけた攻略法。
・友達と話した「あそこ、どうやってクリアした?」という会話。
つくり手が用意したゲームは同じなのに、プレイヤーの数だけ、少しずつ違う物語が生まれます。
私は、この「少しずつ違う」というところに、愛着を考えるヒントがあるように思います。
心理学には「生成効果」と呼ばれる現象があります。完成した答えをただ受け取るより、自分で考え、答えを生み出したものの方が記憶に残りやすい、というものです。
また、「ツァイガルニク効果」と呼ばれる、未完了のものが意識に残りやすいという心理現象も知られています。
少し乱暴にまとめれば、人は、すべてを完成された状態で渡されるよりも、自分が入り込める余地があると、その先を考え続けることがある。
そして、その余白にユーザー自身の選択や解釈が入り込んだとき、体験の主語は、つくり手からユーザーへ移っていく。
愛着とは、ユーザーをブランドの物語に参加させることではなく、ブランドがユーザーの物語に参加させてもらうことなのかもしれません。
「愛着」ボタンはつくれない。
でも、ユーザーが自分の物語を続けられるような、“読点”は設計できる。
そんな心が動く一瞬を、記憶へとつないでいく“読点”を、さまざまなブランドやサービスの中につくっていけるプロデューサーでありたいと思います。
佐藤 愛
Producer / UX Planner
デザイナー、アートディレクターとして広告・プロモーションなどのクリエイティブ制作を経験。その後、アプリゲーム会社にて企画、UI/UX設計、ブランディングなど、サービス開発を担当。現在はDynamite Brothers Syndicateにて、デザインと事業の視点を行き来しながら、ブランドやサービスの体験づくりに携わっている。