セレンディピティという言葉が今、ビジネスや科学の分野で注目を集めています。「偶然の出会い」を意味するこのセレンディピティ、じつは意図的・自発的に生み出す方法があります。今回はその方法を紹介します。
目次
「知恵蔵mini」(朝日新聞出版)によると、セレンディピティとは「偶然の出来事から、大切なことや本質的なことを学びとること、あるいはその能力」。
とはいえ、単なる偶然の幸運によって価値を見出すわけではなく、基礎となる知識や柔軟性、行動力などさまざまな能力や性質が備わっていることが前提とのこと。
次の3点の影響が考えられます。
コロナ禍での雑談の減少
社会ではリモートワークが広がり、雑談の機会は激減しました。従来のようにブレストや気軽なディスカッションから、新たなアイデアの鉱脈を見つけることは難しくなっています
パーソナライゼーション
オンラインショッピングがニューノーマル化したことも大きな要因といえます。 AIの発達は、個別最適化をもたらしました。目的の商品を最短の導線で購入できるようになり、リアル店舗のような目的外の商品との思わぬ出会いは減りました。
情報入手方法の変容
SNSが普及し、ユーザーの情報入手方法は「ググる」から「タグる」に変化。自分向きの情報がスピーディに集まるようになり、新聞や雑誌をめくりながら意図せぬ情報に出会う場面は見られなくなりました。
歴史を振り返ると、時代を変革する画期的な発見や発明は、さまざまな「偶然」から生まれています。にもかかわらず、今、偶然性は失われています。その危機感から、セレンディピティに注目が集まっていると考えられます。
古代ギリシャの数学者アルキメデスは、浴槽からお湯があふれるのを偶然見て、浮力の法則を発見。りんごが木から落ちるのを偶然目にした科学者アイザック・ニュートンが万有引力を発見したのは有名な話です。
セレンディピティは現代でも変革を起こしました。1922年、イギリスの科学者フレミングは細菌培養中に偶然クシャミしてしまい、鼻水がシャーレに飛び散りました。翌日、鼻水の周囲だけ細菌が増殖していないことから殺菌効果を見出し、その酵素を「リゾチーム」と命名。この研究がのちのペニシリン発見へと貢献します。
戦後アメリカでは、対潜水艦兵器の開発に力を入れていました。潜水艦の機関音をキャッチする音波探知機の実験中、潜水艦からではない音が偶然聞こえてきました。イルカの交信です。これをきっかけにイルカのコミュニケーションが研究されるようになりました。
1974年、アメリカの化学メーカー、スリーエム社の研究員は強力な接着剤を開発中、非常に弱い接着剤を作ってしまいました。別の研究員が偶然その失敗作を本のしおりに使えないかと思いつき、「ポストイット」が誕生しました。
ある資料によれば、重大な科学的発見の30~50%程度は、ある薬品がこぼれて別の薬品と混ざる、たまたま顔を合わせた専門家同士の何気ない会話から新たなひらめきが生まれるといった、意図せざる偶然の結果生まれていることが研究によって示されているといいます。
入浴中に良いアイデアが浮かび、風呂上がりにあわててメモをとる、そんな経験はないでしょうか?
アインシュタインはシャワー中にアイデアがひらめいたそうです。浦沢直樹は漫画「20世紀少年」のイメージを風呂で着想し、三谷幸喜も風呂上がりにバスタオルで体を拭いているときにドラマのアイデアが浮かんだ経験があるといいます。
この入浴中のひらめきには、じつは科学的な根拠があります。入浴中は、副交感神経が優位に働きリラックスした状態に。すると、アルファ波という脳波が出て、ひらめきが生まれやすいといわれています。
また、シャワーの音がホワイトノイズ(あらゆる周波数成分を同等に含む雑音)となり、リラックスを後押ししているともいわれています。
つまり、ひらめき自体は偶然性が高く、セレンディピティと呼べます。しかし、その発現率を高めることはできるのです。たとえば入浴などの方法で。
中国では古来、「三上(さんじょう)」という言葉があります。馬に乗っているとき、寝床に入っているとき、トイレに入っているとき。この3つの場面は、文章を考えるのに都合が良いといわれています。
リラックスできる場面は人それぞれです。ビル・ゲイツは夕食後に毎回自分で洗うと公言。ジェフ・ベゾスはインタビューで冗談まじりに「毎日皿洗いをしているよ。僕がやっていることで一番セクシーだと思う」と話します。
二人はその真意を明らかにしていませんが、皿洗いのような単純作業にはリラックス効果、瞑想効果があると分析する識者もいます。
ひらめきというセレンディピティを生むには、リラックスする必要があることがわかりました。インプットもアウトプットもせず、あえて「何もしない」をする。そんなリラックスタイムを、筆者は「ノープット」の時間と呼んでいます。
何も考えない
頭を空っぽにして目の前の単純作業に集中します。何も考えないのは決して悪いことではありません。考えるべきことを考えないのは良くありませんが、意図的に考えるのを中断する行為は、のちの発想にもつながります。
何も生まない
「0→1」ではなく「0→0」を心がけます。生産性があり建設的な姿勢が常に正しいとは限りません。あらゆる物事に意味や価値を求める現代では、無意味・無価値にこそ、意味や価値が生まれる場合もあるのです。
何も期待しない
セレンディピティを誘発しようという試み自体がすでに期待の表れですが、できる限り、ひらめきを得ようという下心や邪念は捨てましょう。無欲の勝利という言葉が昔からあるように、ひらめきは、ふとした出会い頭に顔を出すものです。
ボケーッとするノープットの効果は、専門家も認めています。
かつては、課題をしている間だけ脳は活動していると考えられていました。しかし近年の研究で、課題をしている間は下がり、休んでいるときに、心や精神を司る場所の活動が上がることがわかりました。実験心理学を研究している京都大学大学院文学研究科の苧阪直行名誉教授は次のように語ります。
1日2、3時間は、目の前の仕事を完全に忘れた時間が必要です。一見何もしていない脳も、かなりのエネルギーを消費しています。一説によれば脳全体の使用エネルギーの60〜80%を「デフォルトモード」に消費しているといいます。「デフォルトモード」とは人間らしさを生むための脳の状態で、これがひらめきにつながります。脳の回路「デフォルトモードネットワーク」によって、心の蓋が勝手に開き、さまざまな記憶や感情が浮かぶ「マインドワンダリング」という現象が起きます。そんなときに、あるアイデア同士が結びついて新しい何かが見つかるのです。
ちなみに、この「ボケッと」は日本特有の言葉。「何も特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち」を一言で表す言語は海外にないといいます。もしかしたら世界的プラットフォーマーは、この日本ならではのスタイルから発想を得ているのかもしれません。
もし、オフィスで後輩社員が何やら一人で非効率で無意味と思える作業をしていても、むやみに注意してはいけません。そうした一見ムダと思える時間が、いつかイノベーションにつながるかもしれないからです。とはいえ、そうはうまくいかず、ただのムダで終わるケースのほうが圧倒的に多いのですが。
最後に名画「魔女の宅急便」の1シーンをご紹介しましょう。何もしないことで、次につながる何かが見つかる。それが、魔女キキと画家ウルスラのやり取りからもわかります。
キキ「私、前は何も考えなくても飛べたの。でも、今はどうやって飛べたのか、わからなくなっちゃった」
ウルスラ「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる」
キキ「でも、やっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」
This is New Perspective
ひらめきを生むには、インプットもアウトプットもせず、「ノープット」すべし。
次回は「ノープット」実践のヒントとなる名著を紹介します。乞うご期待!
石塚 勢二
COPYWRITER
広告制作会社で多くの企業の広告、プロモーションに携わった後、入社。コピーライティングに限らず大局的な視点に立ち、ブランドのコンセプト開発からコミュニケーション戦略の立案、動画・音声コンテンツの企画・シナリオ設計まで行う。