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メガネ屋でルッキズム、ダイバーシティ、バイアス、ヒューマナイズを考えた日。

21View
2026.11.2

店員さんを見た目で判断したら

先日、メガネを買い替えるためにメガネ屋さんを訪れたときの話。

応対してくれたスタッフは20代男性。髪を明るい色に染め、流行りの服に身を包み、おしゃれなサングラスをかけていました。

そのとき、私の胸によぎったのは一抹の不安でした。
「大丈夫? ガチの近眼の気持ち、お兄さんにわかる?」
スタッフのお兄さんはメガネをファッションアイテムと捉えているようですが、私が求めているのは実用的なメガネなのです。

そんな私の不安に反し、スタッフのお兄さんは、フレームの種類や、各社のレンズの違いなどを丁寧に説明してくれました。
お兄さん、スマン。私はメガネをかけていても、大切なものが見えていなかった……人を色眼鏡で見ていた……。
そして私は、似たような出来事を思い出しました。

第一印象なんて、あてにならない

近所のタコス屋のことです。
店員のお姉さんは、派手なネイルに、腕にはタトゥー。ロックバンドにいそうな風貌です。話しかけにくい雰囲気の中、おそるおそる注文すると、タコスの具材を細かく説明してくれました。それどころか、親切にも次回使えるクーポンまでくれたのです。お姉さん、スマン。

これは皮膚科でのこと。
診察してくれたのは、化粧が濃く、金のアクセサリーをつけた女医さん。バブル時代、派手に遊んでいたであろうオーラに圧倒された私は「苦手なタイプの人だなぁ」と思いながらも、「羽振りがいいのなら、腕は確かなのでは」と推測。案の定、テキパキと治療してくれました。先生、スマン。

自宅にて。
エアコンの修理に来た作業員は、成人式で暴れるようなヤンチャなルックスの若者でした。しかし、いざ作業に入ると、そこはプロ。あっという間に修理を終え、颯爽と帰っていったのです。厳しい親方のもとで修行したのかな。あんちゃん、スマン。

そんな出来事を回想し、自分の第一印象なんて、つくづくあてにならないと思い知ったのでした。所詮わずか数十年の人生経験や、ドラマや漫画などの影響を受けたステレオタイプに過ぎないのだと。

先入観を逆手にとったセルフプロデュースか?

彼らに共通しているのは何か? 見た目と中身のギャップです。それに私はやられました。大雨の中、捨てられた子猫を可愛がる不良生徒に思わずキュンとなる、あの王道パターンです。

もちろん、彼らが意図的にギャップを生み出そうと狙っているようには見えず、こちらが勝手に偏見を持ち、それが裏切られたと騒いでいるだけです。

いや、待てよ。もし本人たちが意図的に自己演出していたら?
自分が有能であるのを自覚したうえで、その価値を高めるため、あえてマイナスから入っているのだとしたら?
もしかして、頑固オヤジのラーメン屋が、やけに繁盛しているのもそのせいか?
まさか、あのメガネ屋のお兄さんもその手を使ったのか?
私はまんまとダマされてしまったのか?

注文していたメガネを受け取りに、私は再びメガネ屋へ。例の店員さんは前回と変わらず、オシャレかつ親切。そこに、セルフプロデュースの作為を見いだすことはできませんでした。まぁ、わかったところでどうしようもないのですが。

なお、「ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケート」という怪しい社名で不安を与えてしまっているかもしれませんが、あえてマイナスから入るような目論見はありませんのであしからず。

人を見た目で判断する時代じゃない

メガネ屋さんからの帰り道、スーパーでこんな貼り紙を見かけました。

スーパーに限らず、従業員の身だしなみの多様化が進んでいます。
都内のある市役所では、「職員自らTPO(時と場所、場合)に応じた服装かを判断する」としています。
東京メトロでは、駅員や乗務員の髪色のほか、長髪やピアスの着用も一部容認。日本航空では、客室乗務員や空港スタッフのスニーカー着用が可能になっています。

社会のダイバーシティが進み、外見や容姿を基準に人を評価するルッキズム(外見至上主義)は消滅していくでしょう。

だけど見た目で判断してしまうのが人間

他人の外見に対する寛容さが求められる社会ですが、人の価値観はそう簡単に変われるものでしょうか?

たとえば「ブサイク」という一言。他人をネガティブに評価する外見至上主義に基づく言葉ですが、心がけ次第で発言を控えることができます。
では「イケメン」はどうでしょう。「ブサイク」と同じように外見を形容する言葉です。しかし、一般的にポジティブな意味合いが強いせいか、その表現を非難する人はいません。キラキラした雰囲気の裏に、外見至上主義が潜んでいるにもかかわらず。ポジティブかどうかは、ハラスメントと同じく、発言者が決めることではないのに。

人類が、外見の印象を頼りに周囲の危険を察知して生存してきたのは、紛れもない事実。対象を見た目で判断する習性は、DNAに刻まれているといっても過言ではありません。人がバイアスを完全に排除することは不可能ではないでしょうか。

寛容さを身につけるというのなら

もっと身近な例でいえば、インド人のベテランシェフが働くカレー店と、日本人の若いアルバイトが働くカレー店。
人種や年齢がどうのという話ではなく、どちらが直感的においしそうと思えるでしょうか。おそらく前者では?(この思い込み自体も先入観ですが)

注意しておきたいのは、決してルッキズムを肯定しているわけではなく、ダイバーシティを否定しているわけでもありません。
寛容さを身につけるのなら、人は不寛容からどうしても逃れられない、矛盾を抱えた生き物であることまで寛容すべきではないでしょうか。

ヒューマナイズという逆転現象

近年は、店員さんすらいない無人店舗が増えています。すべてがシステム化され、それはそれで便利ですが、店内はどこか殺風景で、薄ら寒い空気が漂っているようにも思えます。

あらかじめ無人と知っていれば別ですが、仮に有人と思い込み、心のこもったコミュニケーションを期待して入店したら、そのギャップに、少なからずガッカリしてしまうでしょう。

ここで私は考えました。
ギャップといえば、これまで述べてきた「一見××に見えるけど、じつは○○」というフォーマットがある。これを逆に生かせないかと。
「一見AIに見えるけど、じつは人間」というように。

音楽業界には「ヒューマナイズ」という言葉があります。打ち込みのデータに、揺らぎや強弱を加え、人間の演奏特性を再現する技術です。
生成AIが作った機械的な文章を、人間が書いたように書き換える機能としても知られています。
要するに、わざとアナログ感を出す手法です。

「人間性」自体にシズルが生まれる時代へ

今後、AIがより社会に定着し、万能さにすっかり慣れきった人間の興味はどこへ向かうでしょうか。
私は「そのAIは、誰の身代わりなのか」、「そのAIは、どんな人を再現しているのか」という点だと予想します。
AIの奥に隠れた「人間性」自体にシズルが生まれる時代が到来し、その際にヒューマナイズが効果的に働くと考えています。

一見AIだけど、人情や人間味がある、人力や手仕事を感じる、人生経験や感性に基づいている、本能や不完全さ、クセなども再現されている。そうしたギャップにやられてしまう日はそう遠くないかもしれません。

たとえば、AIに特定の人間性を仕込んでおいたり、自分の仕事に、AIでは出せない人間性を出してみたり、今からできるヒューマナイズはありそうです。メガネ屋やタコス屋での体験談をもとにブログを書くのも、その一つなわけで。

 

This is New Perspective

バイアスの影響を受ける人の習性をうまく利用すれば、AIにギャップを生むことができるかもしれない。

石塚 勢二

CREATIVE DIRECTOR / COPYWRITER

プロダクションにて企業の広告・プロモーションに携わった後、Dynamite Brothers Syndicateに参画。パーパス策定やコンセプト開発から、コミュニケーション戦略の立案、コンテンツの企画・制作まで行う。知性・感性が相手と共鳴する関係を重視。
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