会場に入ると雑誌ananの表紙が壁一面を華やかに飾っている。見えてくる誌面には、ただ写真と文字しかないはずなのに、その時代の匂いというか、エネルギーみたいなものを感じる。
BRUTUS、POPEYEなど多くの雑誌や絵本などを手掛けた堀内誠一さんは日本で最初の雑誌のアートディレクターだと思う。
エディトリアルデザインとは写真や文字などの要素をその雑誌らしくテーマに合わせて表現する方法。魚と酢飯も鮨屋が握らなければ、ただの食材にすぎない。
私もその様に色々な要素を調理し雑誌に限らずコミュニケーションデザイン全般を行っているが、元は雑誌デザイナーである。キャリアはマガジンハウスのポパイのデザイン部から始まった。創刊から3代目のアートディレクター荒井健さんが私の最初のボス。堀内誠一さんはすでにお亡くなりになっていたので私はお目にかかったことはないが、我がボスはデザイナーとして堀内さん下でデザイナーだったので堀内さんはそのボスのボスのそのまたボスにあたる。
デザイナーを目指した頃、クリエイターには才能が必要だ、才能がなければなることは難しいと言われていた。才能があればなれるのか?
あるテレビ番組で三谷幸喜さんが、私は日大芸術学部で演劇を勉強して今もそれが仕事だが、当時の同級生達はこの業界には見当たらないと言っていた。
デザイナーになる人の多くは美大を目指す、が大体6割しか入学出来ない。その6割中、卒業出来ないか、しない方が1割。残りの卒業生でデザインの道に進む方が半分、その半分の半分は3年以内にやめてしまう。理由は新しい仕事への興味や、田舎に帰る、結婚、経済的事情など様々あると思うが、大方はデザイナーになるのが難しいからではなく、個人的理由だ。
だから、私は才能が無くても自分があきらめなければ繰り上げ、繰り上げでなれるんじゃないかと考えた。この話は才能の壁で悩んでいるうちのスタッフにも励ましの想いを込めて時々話す。因みに私は一浪までしても美大には入れなかったが今もこの業界に居させてもらっている。
うちの会社がある青山は理由はわからないが昔も今もデザイン会社が多い。怒られるかもしれないが青山で石を投げればデザイナーに当たるかもしれない。そのように沢山いる中で、大事なのはどの様なデザイナーになるかだ。表紙や巻頭特集を担当するか巻末のモノクロページか。いつ、誰に言われたのか忘れてしまったが、当然前者になりたい。
その為には才能とか運とかも必要になってくるんだと思う。でも残念ながら才能は売ってはいないし、道に落ちてもいない。恐らく持ち合わせてもいなかった。才能とは生まれながらにして持っているもの。イコールそれはDNAということ。また才能とか運は、いつも時代の中心にあるし、逆に才能あるコミュニティから時代が作られているとも言える。
私はそう思って時代の中心を探して探して飛び込んだ。その最初の場所はPOPEYEのデザイン部。そこには堀内誠一さんのDNAが存在していた。
今回、自称堀内誠一系譜デザイナーとして、その時代に感じていた才能のDNAを具体的に再認識なのか?再発見が出来ればと思い、展覧会に足を運んだ。
私は独立前に2つのデザイン会社に在籍していたが、その考え方、スタイルはそれぞれ異なっていた。
例えばPOPEYEの時のアドバイスの一つが『デザインは無から生み出せ!』。手塚治虫は漫画を参考にして漫画を描いてないし、ビートルズは今までにはない音楽をつくったんだ。だから山や海など自然の風景からのインスピレーションをデザインに生かせ。これは理解出来なかったアドバイスの中でも不動の一位。そもそもレベルが手塚治虫やビートルズと全然違う。
もう一方のデザイン会社capは、様々な雑誌、古本、海外のものも、とにかく沢山見てよかった。良いデザインを沢山見てミックスしていくスタイル。雑誌に毎月数万円使って買いまくるし、デザインが大好きな人たちが集まっていた。
そしてこの2つのスタイルでの経験は結果的に功を奏した。capに入社するとPOPEYE時代は他の雑誌をいっさい見なかった(見させてもらえなかった)空っからのスポンジ状態の私は、ダイソン並みに新しいアイデアをどんどん吸収していった。その様にして両方の良いところ取りのバランスが今の私のベースになっている。恐らく自分の潜在的な部分は後者の方に近いが、最初がフィジカルなものづくりをしていたPOPEYEで良かったと思っている。
会場で久しぶりに目にしたのは、それと同じものづくりスタイルの雑誌anan。その構図には、そうそう、こうやってデザインしていたという懐かしさを随所に感じた。
本文の段組の縦横のライン上に写真を合わせて配置がされている。複数枚の写真は1ミリとか狭めに固めてまとめられている。まさに固められているって表現がズバリ。どのページも作文用紙の様にタイトルは最初の方に2行くらいで縦組み。これだけを伝えるとカチッとした構図でまじめな、退屈な印象だと思うだろうが、堀内さんが作るそれは柔軟性に富み、絵心あふれる紙面になっている。心の声やパッションを混ざりっけなしに直球で表現している。魔法の様に、たちまち読書をワクワクで包み込む。
私は当時そのスタイルをうまく使えなくて硬い印象にどうしてもなってしまい苦労をしていた。やっぱり才能がなかった。私の目にはマージンとかグリッドの様な線が現れて、それを頼りにデザインしていた。その結果、デザインされたものと言うよりはただレイアウト、配置された写真と文字がただ存在する誌面、正に握られていない鮨になってしまっていた。
キャリアを積むごとに器用になったのか、柔らかい構図ができる様になってはきていたが、何か違うなと、その後もずっと納得が出来なかった。
今回の展示で堀内さんの絵本と雑誌の両方を見て、ようやくその伏線が回収できた様に思う。
当時はMacではなくアナログで、レイアウト用紙をつかってデザインしていたのだが、マガジンハウスでは雑誌によってそれらが異なっていた。ananは読み物も多かったのでアタリとして文字組みのタマが薄い色で刷られていた。BRUTUSは毎回テーマが変わる特集誌だから柔軟にデザインができる様に方眼が刷られていた。ところがPOPEYEだけが白紙、真っ白だった。
『アートディレクターはそこに川が流れていて奥には山々がある風景を描く様に、絵を描くようにデザインをする、そのためにPOPEYEのレイアウト用紙は画用紙のように真っ白。と堀内誠一さんが言っていた』と聞いたことを会場で思い出した。
だけど、山もないし川もない、あるのはデニムの切り抜き写真と文字じゃないかと、絵を描く感覚って、なに?それをどうレイアウトすればいいのか教えてくれて!って私には理解出来なかった。やっぱり才能がないからだ。
雑誌を構成する要素は大きく2つ、文字とビジュアル。そう言うとシンプルに聞こえるが、文字はタイトル、本文、キャプション、プロフィール、コラムなど細かくあり、ビジュアルも様々な写真があるので、それをまとめる必要がある。
堀内さんはそれらを前段で説明したスタイルを使いグルーピングして固まりをつくった。そのようにして紙面の要素をシンプルに整理すれば、イマジネーションを膨らませて絵を描くように雑誌をデザインできたのではないか。堀内さんの作った絵本を見てそう思った。要素もシンプルで明解、それをダイナミックな構図とページネーションで展開されていた。雑誌デザインも同様だった。大胆な余白、固まりになった段組に食い込ませたイラスト、切り抜き用ではない写真も切り抜いて使ったりして変幻自在。まさに絵を描くような構図。頭の中のイメージをそのまま絵にしていた。
また堀内さんと仕事をした時のエピソードやコメントも沢山紹介されていたが、中でも印象的だったのは、その仕事の速さ。打ち合わせしながら、何十ページというラフを30分もかからず描いていた。
このスピードもPOPEYEデザイン部では重要視されていた。仕事のスピードが遅いことで私は問題になり、ある時ボスに呼び出された。そして無駄な作業をリスト化させられた。
例えば引き出しを閉めたり開けたりする時間とか、ペンのフタを取る時間とか。そのリストは私の机の上に張られ、私の引き出しは常に開けっぱなしになり、ペンのフタは捨てられた。そのおかげで仕事は今でもかなり早い方だと思う。
実際に作業が速くなれば良いことがある。アイデアに時間をよりさけたり、人の半分の時間で出来れば2案作ることも可能だ。何よりフィジカルにデザインをすれば感覚が優先される。それによってパッションを表現しやすくなるだろうし、構図やページネーションにリズム感みたいなものが出てくる。そういった湧き出るイメージは頭で考える速度では難しい。集中力の質みたいなものも低下する。だからエディトリアルデザインにおいては速度が遅いは悪でしかない。恐らくクリエイティブ全般においても。時間があれば良い仕事が出来るのか?の問いはそういうことだろう。整理とスピードはまさにPOPEYEのデザインスタイルだった。
それとページネーションの話がもう一つ。POPEYEの週刊化を準備していた頃マガジンハウスのエレベーターで2代目ADの新谷さん(当時はHanakoのADなのでマガジンハウスでは良くお見かけした)と一緒になった時、週刊化に伴いページネーションが変わるね、とボス(3代目AD)と話していた。
それを聞いていた私は疑問に思い、何故変える必要があるのかを尋ねた。週刊化すれば情報量が増える。だから伝えるリズムというか速度をあげていかないといけない。もちろん情報量を軽く見せる必要もある。だから次のページをめくりたくなる様に、もっとメリハリをつけるページネーションに変える必要がある。この話も展覧会の絵本のページネーションから説得力を持って思い出した。
キャラクターが画面いっぱいに描かれた、次のページはスカッと抜けた余白があったり。色鮮やかなページからモノトーンの世界へ。POPEYEでは次をめくりたくなるページネーションを作りなさいとよく言われていた。
そのような自分の経路を辿りながら見ていると多少なりとも堀内誠一さんの才能のDNAは私に注入されたか、もしくは影響を受けてDNAの一部になっているはずだ。当然、我がボスであったcapの藤本やすしさん、3代目ポパイAD荒井健さんからも、ミラノで一つプロジェクトをご一緒したエンツォマーリさんも、光栄にもお仕事をご一緒した八木保さん、仲條正義さんからもDNAを注入されている。
エピソードを語りだすと話が尽きないが、それぞれに濃い。他にもクライアント、スタッフ、友人や家族、プロジェクトや趣味全般からも様々なことから影響を受けて全てが私の一部になっている。
才能の壁はデザイナーになったときから、辞めるまで立ちはだかるだろう。沢山の才能のDNAを注入しても壁は大きくなり、イタチごっこは終わらない。才能のある無しではなく自分が刺激される人に出会うこと、場所に行くことが大事。
その最初の一歩は興味を持つこと。これもPOPEYEの時に言われていたことだ。
Boys, be ambitiousじゃなくbe curious!って何かに興味をもち、それに引き寄せられるかのように旅に出る。その場やそこにいる人に出会い、多くの経験をする。そこから沢山の問いが生まれ、さらに深掘りをしていく。その経験がDNAとして自分に注入されていく。
堀内誠一展は、まさに堀内さんの興味の集積だったし、自身の経験を振り返れる良い機会となった。
野口 孝仁
PRESIDENT & CEO / CREATIVE DIRECTOR
1999年、株式会社ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケート設立。「ELLE JAPON」「装苑」「GQ JAPAN」「Harper’s BAZAAR日本版」「東京カレンダー」「FRaU」など人気雑誌のアートディレクション、デザインを手がける。現在はエディトリアルデザインで培った思考を活かし、老舗和菓子店やホテル、企業のブランディング、コンサルティングなど積極的に事業展開している。 著書「THINK EDIT 編集思考」(日経BP) 講師宣伝会議「アートディレクション養成講座」「編集物ディレクション講座」「デザインシンキング実践講座」など多数